春名なおあき

はるな 直章

戦争への道 絶対に許さない

日本共産党 元衆議院議員
行っちきち戻んちきち

西条市で演説会、岸高知地区委員長の遺志を受け継ぐ

2016年6月8日

 愛媛県西条市の演説会は、平日2時という時間にもかかわらず80名もの参加者で盛況。小路きゆき比例候補と青野たかし市議とともにたっぷり45分、野党共闘、戦争法、アベノミクス、三つのチェンジ、原発など楽しく語らせていただきました。

西条1

西条2

西条3

 

 岸寧夫党高知地区委員長が59歳の若さで難病のために亡くなりました。悲しみに耐えません。心を込めて弔辞を送らせていただきました。

 岸寧夫さん、59歳というあまりにも早い生涯に、悲しみ、無念の思いしかありません。涙を拭いて岸さんのたたかいの人生に思いを馳せ、お別れの言葉を送ります。 

 岸寧夫さんは、私の尊敬すべき高知大学の先輩です。学生のころには理学部学生自治会や高知大学党委員会、新聞会などで異彩を放っておられました。コケの研究もすぐれたものだったと聞いています。卒業後、「しんぶん赤旗」の記者としても大活躍、社会を分析し、悪政を追及するペンの力は卓越しておられました。

 いつの衆議院選挙だったか、「春名を勝たせられんかったら、たばこをやめる」と宣言したことがありました。私の不徳の致すところでその選挙に勝てなかったのですが、岸さんはほんとうにそれ以来たばこをピタッとやめたのです。驚かされました。有言実行、選挙にかける熱い思いが伝わって、負けたけどすごくうれしかった思い出があります。もっとも、それ以来会うたびに「太った、太った」と言っていましたけれど。

 岸さんは、活動に疲れたり、行き詰まったりすると、「一人カラオケ」でストレスを発散していました。私らといったときに必ず歌う歌は、岡林信康の「山谷ブルース」。「岸さん、暗い」といくら言われようが、わが道を行く。大きな声で最後まで歌いきる岸さんを周りが呆然と見る、というパターンでした。労働者魂、労働者の苦労を歌うこの歌がお気に入りだったのは岸さんらしいところだったと思います。

 党東部地区委員長のとき、しばしば会議におじゃましましたが、ち密な情勢分析の上に立った「この活動をいまやることが国民への責任だ」とズバリ提起してくれる姿勢に大いに励まされ、奮い立ったものでした。岸さんは、勉強家であり、研究家であり、そしてすぐれた実践家でした。

 最近、フェイスブックに徳島の原発ゼロ金曜日行動が200回目を迎え、そこに私も参加し、通算4回、この行動に参加してきたという記事をアップしました。岸さんはそれを見ていて、「高知でもこんな継続的な春名の姿をもっと示すように研究しないといけない」と、コメントしてくれました。病床からともにたたかってくれていたのですね。すごくうれしかったです。

 お見舞いにうかがったとき「せめて投票日まで生きて選挙結果を見届けたい」といっておられました。私は、病魔に打ち勝って、必ず共産党の大躍進、国民連合政府から民主連合政府の樹立という目標をやり遂げた喜びをわかち合えると信じていましたが、かなわぬ夢となってしまいました。どれほど無念だったことでしょう。

 残された私たちには、この目標を実現する責任があると肝に銘じています。必ず大きな躍進を勝ち取って、岸さんの墓標に報告いたします。そして「あなたのがんばりがこんな形で実ったよ」と喜び合いたいと思います。どうか、天上から私たちのたたかいを見守っていてください。

 ご遺族のみなさんの悲しみはいかばかりかと察するに余りありますが、残されたものとして、いっしょに支えあい、励ましあって歩んでいきたいと思います。

 岸さん、どうか安らかにお休みください。

                       2016年6月9日 春名なおあき

(岡山での行動のために、通夜に参列、9日の葬儀には参列できませんでした。米田みのる県議に代読していただいたものです)

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