春名なおあき

はるな 直章

戦争への道 絶対に許さない

日本共産党 元衆議院議員
行っちきち戻んちきち

県党の草分け、革新高知市政の大黒柱・久保昇さんに捧ぐ

2017年3月27日

 25日、高知県党の草分け的存在で、坂本昭、横山龍雄両革新民主高知市政を支え高知市議を6期24年務めあげてきた久保昇さんを偲ぶ会を開きました。53名のみなさんが久保さんとの別れを惜しみ、思い出を語り合い、たたかいをいまに引き継ぐ決意を固めました。偲ぶ会呼びかけ人を代表して「偲ぶ言葉」を述べさせていただきました。

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 「私たちの大先輩であり、日本共産党高知市議6期を歴任するなど、平和とくらしを守る政治革新の大黒柱として活躍された久保昇さんが、さる1月27日、享年93歳の生涯を閉じました。久保昇さんへの惜別の思いを込めて、その生涯を振り返り、哀悼の言葉を送らせていただきます。

 久保昇さんは、1925年大豊町で生まれました。1939年には大川船戸高等小学校を卒業、その後すぐに満州に渡りました。1944年、満州の佳木斯(チヤムス)青年学校を卒業後、あの関東軍に入隊しています。終戦後シベリア抑留にあい、1948年にようやく帰国、4年間苦しみながら生きてこられました。

 高知に帰ってこられた久保さん、1953年に結核を患い、国立病院池療養所で療養生活を送りました。その体験から命と健康を守る運動に自ら身を投じ、三柏園事件では、投獄されるという弾圧に屈せず、裁判闘争も含めて不屈にたたかい抜きました。1956年には高知県患者同盟の副会長に就任、1957~58年は、日本患者同盟の副会長も務めてこられました。そして、1966年には高知医療生協の初代専務理事の大役も務めてこられました。また、55年から65年まで第一病院、藤戸病院に勤務されました。

 日本共産党への入党は、1948年10月です。つまりシベリア抑留から帰ってきてすぐのことでした。そして1949年、県委員会書記、51年香長地区責任者、52年安芸地区責任者、53年高知地区責任者として活躍、当時は日本共産党が50年問題という不幸な分裂を体験しているときだっただけに、困難の連続だったと思います。

 1965年には高知地区委員会で専従の常任委員になり、1967年に高知市議に初当選、ただちに幹事長を務めました。以来高知市議6期24年間、市議団長などを歴任され、坂本昭、横山龍雄、両革新民主市政を支える大黒柱として活躍されました。

 山原初当選が1969年ですから、まさに山原10選をかちとるたたかいの先陣を切ってこられたのが久保さんでした。高知の党が、県民に愛され、草の根で県民とむすびついた党として前進していくうえで、計り知れない役割を果たしてこられたのが久保昇さんでした。

 久保さんにお会いするたびに、「春名君、元気かよ」と、あの張りのある声で、激励してくださったことをいまでも忘れることはできません。

 憲法を壊し、命を軽んじ、ふたたび戦争への道を逆走する政治に対し、野党と市民の大きな共同が広がり、新しい政治をつくるうねりが起こっています。久保さんが貫いてきた一筋の道=いのちとくらしを守り抜く政治をつくることが現実にできる時代が到来しています。あとに残されたものとして、久保さんの不屈の遺志をしっかり受け継ぎ、たたかってまいります。どうか新しい政治をつくるこの事業を、天上から見守ってください。

 久保さんの生涯、そしてその不屈のたたかいに心からの感謝の思いを込めて哀悼の言葉とさせていただきます」

     2017年3月25日 日本共産党高知県委員会 委員長 春名なおあき

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